SAM周年活動

SAM日本チャプター創立90周年記念講演

「モノづくり、人づくり」

トヨタ自動車株式会社 名誉会長 豊田 章一郎

1.はじめに

ただいまご紹介頂きました豊田でございます。立石さん、丁重なるご紹介を頂きありがとうございました。皆様には大変お世話になっておりまして、高いところからではございますが、厚く御礼申し上げます。

私はSAMの会員の一人ではありますが、これまで会合などには、あまり出席できず、皆様とは10年前の2005年に創立80周年記念でお話をさせて頂いて以来ということになります。このときは丁度愛・地球博が開催されておりましたので、愛・地球博の取組や日本の課題などについてもお話させて頂きました。その後皆様にも万博を楽しんで頂いたと伺っております。これで私の務めも終わったと思っておりましたら、立石さんから、創立90周年でも話をせよと言われました。大変お世話になっている立石さんからの強いご依頼でございましたので、出て参った次第でございます,

改めましてSAM日本チャプター創立90周年、誠におめでとうございます。

ところで、私は、トヨタ自動車の経営をだいぶ前に退いた、名誉会長でございます。トヨタ自動車の経営は、現在の経営陣がしっかりやってくれていますし、トヨタの未来は彼らの責任でしっかりつくっていくものと考えております。とは申しましても、今日は、折角の機会でございますので、日本を取り巻く環境の変化とモノづくりの課題などについて、これまでの経験を踏まえまして、私が日頃思っていることをお話させて頂きたいと思っております。

2.日本の課題

数年前は、日本では、毎年首相が変わり、リーダーがこんなに変わっては、世界との対話も出来ないし、信頼関係の構築もできないと言われておりました。私も外国に行って大統領や首相にお会いすると盛んに言われ、大変心配しました。事実、日本のブレゼンスは国際社会の中で極端に低下する状態がしばらく続きました。現在も色々と問題はございますが、国としても、また企業としてもようやく落ち着いていろんな仕事ができる状態になったのではないかと思っております。

日本は、金融緩和、財政出動、そして成長戦略で今後どう経済を引っ張って行くかが世界中から問われております。2020年の東京オリンピックも取り組み次第では大きな成長の柱になりうると思っております。しかし、決して楽観は許されず、国も、私ども企業も、しっかりと現在の環境変化をにらんで俊敏に対応をはかり、将来にむけて元気な日本を創っていく気概を持って挑戦していくことが、何よりも大切であると考えております。

今、日本には5つの大きな課題があるのではないかと思っております。

(1)世界から尊敬される国

まず、第1は、日本がどういう国を目指していくかということでございます。私は、日本の高い科学技術力・モノづくり力を生かして、人類社会の持続ある成長を目指して、環境やエネルギー、地球温暖化などの地球規模の課題の解決に貢献していく科学技術創造国家を目指して取り組みまして、国としても発展していくことが大切であると考えております。

また、グローバル化が急速に進展し、政治、経済、通商など国際社会が一段と結びつきを強めていく中で、TPPやFTAに代表されるように日本が日本だけで成し得ないことがいっぱい出来ております。

また、中国主導で、アジアインフラ投資銀行(AIIB)が設立される新たな動きも出てきております。世界中のいろんな国々が、どんなことをしているか、あるいはそれについて日本はどう対応して行ったらよいかを考え、行動しなくてはならない時代になりました。

日米関係は、もとより、日欧関係、日中関係、日韓関係、日露関係、あるいは中東諸国との関係、北朝鮮との関係などいろんな難しい課題も沢山ございますが、世界とお付き合いをきちんとできるようにしておくことが今後ますます大切になってきております。

これまで貿易立国、技術立国として発展してきた日本は、何よりも世界の平和を望まなければならない国であります。日本は、国や産業・企業、人の面でしっかりと各国との対話を促進して信頼関係を築き、世界の人々が訪れてみたい、住んでみたい、ビジネスをしたい、あるいは学びたいと思うような、世界に開かれ、信頼され、尊敬される魅力ある国づくりを目指していくことが大切ではないかと思っております。

(2)環境・エネルギー問題の克服

第2は、環境・エネルギー問題の克服でございます。この問題は、日本だけではなく、世界的な規模で解決をしていかなければならない課題でもございます。

日本は、東日本大震災、福島原発事故という大変悲惨な事故を経験しました。大変不幸な悲しい出来事でございますが、そのことを一つのきっかけにして、日本は国としてのエネルギー安全保障や国民の安全保障の観点から、どういうエネルギーのべストミックスのモデルを構築したら良いかをしっかりと考えて、対応していくことが大切であると思います。

日本はかつてオイルショックの教訓に学び、石油、石炭、LNGなどの鉱物資源燃料に過度に依存することなく、国民のために安定的に低価格で電気を供給するために多様な発電技術を組み合わせて推逸して参りました。ご承知の通り、このようなエネルギー安全保障の取り組みが、いま危機に瀕しております。日本は、福島の原発事故を教訓とした再発防止を徹底して進め、産官学の叡智を結集して、安全・安心なエネルギーの日本モデルをつくり、世界に発信して日本への信頼を高めていく取り組みが求められていると思います。

(3)少子高齢化の問題への対応

第3は少子高齢化の問題への対応でございます,先行きが不透明な日本社会で、唯一確実に言えることは、現状を放置すれば、日本の人口が将来激減するということでございます。私も、数十年前から、この問題について指摘し、政府にも抜本的な取り組みをお願いしてきました。しかし、残念ながらあまり進展しているとは申せませんでした。

2012年の国立社会保障・人口問題研究所の人口推計では、現在の1億2,700万人の日本の人口は、46年後の2060年には、8,700万人にまで減ると予測しております。

今後46年で4,000万人が減るとすれば、人口87万人の県、たとえば山梨県ですが、1年に一つずつ消滅していく計算になります。その上15歳以上の労働力人口は、2013年の6,577万人から2060年には3,795万人、42%も落ち込むという悲観シナリオもございます。この人口変動は経済規模の縮小と国民生活レベルの低下など、日本社会を根底から変えることになります。今私どもは、どうやって活力ある日本を次世代につないでいくかが、問われております。

一刻も早く、制度や政策、人々の意識を速やかに変え、急速に進む少子高齢化社会への流れに歯止めをかけ、若い世代や次の世代が豊かになり、結婚しても安心して、子供を産み育てられることができるような対応を取っていく必要がございます。経済の活力を維持していくためには、50年後も少なくとも1億人以上は保持しておく必要があると言われておりますが、私も全く同感でございます。

そのためには2030年までに出生率を現状の1.41人(2012年)から2.07人にまであげる必要があり、少なくとも2020年のオリンピックあたりを目処にしっかりと出生率を上昇トレンドに変えていく必要があると言われております。つまり、残された時間は少ないということになります。

女性にどんどん社会に出て活躍してもらうためには、政府・企業はフランスやスウェーデンのように、出生率の回復を果たした話外国の例にも学びながら仕事と育児の両立を図る制度・政策を続けて環境整備を強力に進める必要がございます。同時に、私ども企業も意識改革や制度・風土、仕事の仕組みを変えていくことが必要になります。

たとえば、工場の製造ラインなどでは、元気な高齢者や女性にも働きやすく、生産性の維持・向上を図れる画期的な技術革新への取り組みが大切になって参ります。

同時に規制改革や制度改革などを推進して、世界中からヒト・モノ・カネ・情報を呼び込み、世界の活力を取り込むことによって経済の成長、活性化を図って行くことも重要になります。

特に地方の活性化を図って行くためには、地域の個性、強みを生かし、自立した農業や水産地域、観光やモノづくり地域など働く場の確保と快適な街づくりに取り組んでいくことが大切になってきていると思います。

(4)イノベーションに勝ち抜く

第4は科学技術創造立国を目指す日本は、世界的に進むイノベーションに勝ち抜いて行かなくてはならないということでございます。

ここ数年、日本が不況に喘いでいる中で、世界では、IT・ICTが急速に進展し、ビッグデータ、クラウドコンピューティングなど新たな技術も次々と登場しております。さらに、4K、8Kの映像技術や3Dプリンター、モノのインターネット「IoT(Internet of Things)」、急速に進化する人工知能ロボットなどもモノづくりを大きく変える可能性がございます。すでにドイツでは、第4次産業革命(水力・蒸気、電気、ITに継ぐ産業革命)を意味する国家プロジェクト「インダストリー4.0」が始動しております。

このような動向も視野にいれて、今、ITやICTを軸に技術のパラダイムが大きく変わっていく時代であるという認識のもとに取り組んでいくことが大切であります。日本はこの世界的なイソベーションの波に絶対に乗り遅れてはいけないと思っております。

またすでに、モノづくりの分野では、中国をはじめアジアを中心とする新興国が着実にプレゼンスを高めております。彼らは日本の技術・技能に謙虚に学びながら、それらを貪欲に吸収して地道に汗をかき、モノづくりに取り組んできております。自動車では中国は今や世界一の販売大国に成長いたしました。

一方、こうした中で、これまで技術立国,貿易立国日本の一翼を担ってきました日本のモノづくり産業にも、その国際競争力の低下が懸念されております。

日本は、現在は一流国ですが、現状に満足し、このまま改革を怠れば、将来、二流国、あるいは三流国になりかねない。そういう危機感を私は持っております。

(5)次世代人材の育成

第5は次世代人材の育成でございます。資源のない日本にとって唯一の財産は人材だと言えます。私は、識者や財界人の方々から日本の現代の若者に対して様々な問題点を伺っております。たとえば、日本の高校生や大学生が中国やアジアの国々の学生に比べ現状満足型で向上心が少ない。また、日本から海外に留学する学生数が激減するなど内向き傾向が強まっているとも指摘されております。確かに、米国への留学生の数は、中国は24万人弱で10年間に約4倍増、韓国は7万人で1.3倍増となっております。一方で日本は約2万人で約60%も減少しておりまして、しかもハーバード大学への学部の入学者は1人といった年もあると伺っております。

これは、世界との相互理解の促進や信頼関係構築が益々大切になってきている日本にとって、将来の大きな不安材料になりはしないかと大変心配しているところでございます。

さらに、理科離れが進んでいるのは理数系出身の先生が少ないことや学校や塾でも入試科目にない理科はやらないという問題もあるとも伺っています。

日本の次世代を担う若者がこのような状態で満足しているとすれば、日本の国力は急速に低下していくのではないかと大変心配しております。

最近、高校、大学と2回も受験勉強をする必要のないことから生徒が余裕をもって幅広い教科が学べる中高一貫校という新しい試みの学校も出てきておりますが、依然として現在の多くの学校では、詰め込み教育、暗記教育、偏差値教育が中心となっており、このような教育の制度や仕組みの改革はしっかりと進める必要があると思っております。

さらに大切なことは、世界に目を向けて学び、考え、大きな夢を持ち、自立した人間として自主的に判断し主体的に行動できる人材を育てていくことだと思います。それが、21世紀の日本の教育の使命ではないかと考えております。

一方で、私が大変残念に思っておりますのは、JICA(ジャイカ)の青年海外協力隊などで、一生懸命現地で働き、貢献してきた若者や自主的に海外留学をした人が、日本企業での就職の機会には、あまりに恵まれていないことでございます。若い時に海外で新たな挑戦をして貴重な経験を積んだ人材を日本企業はもっと活用すべきではないかと思っております。

日本の課題として5つ申し上げましたが、これらを我々自身の課題として克脱し、自ら未来を創っていく覚悟が求められていると思います。先ほど触れました、環境・エネルギー、少子高齢化の問題は、いずれも成長の制約条件でございますが、今後のイノベーションの取り組み次第では、成長の契機にもなります,このような視点と姿勢で産・官・学が一体となって知恵を出し合い、スピーディに対応していけば、いずれの分野でも世界に誇る日本モデルを構築していくことは可能だと思っております。

ただ、そのために残された時間は非常に少なく、日本にとってラストチヤンスかもしれないという危機・意識を持って進めて行かなくてはならないと思っております。

3.モノづくりは、人づくり

次にこれまでの私の経験を踏まえまして、モノづくりについて考えていることを古い話も含めてお話させて頂こうと思います。

(1)イノベーションへの取り組み

今振り返ってみますと、私どもの技術革新による新たな飛躍は、1973年(昭和48年)と79年(昭和54年)の2度にわたるオイルショックや、厳しい日本の排出ガス規制への挑戦が契機となったと思っております。

特に、日本のI978年度(昭和53年度)排出ガス規制は、世界一厳しい米国のマスキ一法をモデルにしたのでございました。米国ですら、マスキ一法を直ちに実行に移さなかったことを考えますと、当時の私どもの自動車メーカーにとりましては、めちゃくちゃとも思える規制に映ったものでございます。

私どもは、大型車から大衆車まで、幅広いバリエーションを抱えておりましたが、企業の存亡をかけ、組織やグループ会社、取引先さんと打って一丸となって挑戦し、それぞれのエンジンの持つ特性を生かしながら、触媒方式や希薄燃焼方式などを開発していきました。

しかし、単に規制をクリヤーしただけでは、真の技術革新にはつながりません。これを飛躍のチャンスと捉え、発想の転換をはかり、省エネや安全などの技術の向上と性能の一層の向上、という2つの課題を両立させる高い目標を掲げて、技術開発に挑戦しました。

この結果、車自体も新材料やエレクトロニクスなど、様々な統合システムを備えたものとして進化し、トヨタ車の性能は、大きく向上し国際競争力の強化もはかることができました。同時に、長期的な視点で、幅広く技術の蓄積に努め、技術のブレークスルーを次々と産み出して行ったことが、その後の飛躍につながって行ったと思っております。

例えば、環境保全への取り組みでは、レシプロエンジンの改良はもとより、天然ガスや、電気の活用、さらに、ガスタービンとバツテリーの併用によるハイブリッド方式の研究など、多様な可能性を追求することによって、技術の蓄積に努めました。

それが、今日ご好評を頂いておりますハイブリッド車やプラグインハイブリッド車、そして昨年末発売いたしました燃料電池車「MIRAI(ミライ)」につながってきました。

また安全面では、カメラとかレーダーを装備した、車自体の認知機能の向上や情報通信技術の進化によりまして、ITS(Intelligent Transport Systems再度道路交通システム)などの取り組みが推進され、車対車、車対歩行者、道路対車などの協調による安全運転支援や円滑な交通流の確保などの面では、著しい進化を遂げております。

さらに今日では、高度運転支援や自動運転の実用化も既に視野に人ってきております。今後は交通事故防止や渋滞の削減などにむけまして、さらに取り組みが加速していくと思います。

しかし、交通事故で昨年も4,113人(2013年4,373人▲260人)の方がお亡くなりになりました。ピーク時(1970年16,765人)に比べ4分の1以下になったとはいえ、毎年多くの尊い命が失われるのは誠に残念でなりません。

私の夢は交通車故死ゼロの実現でございます。この面で道路と車の情報交換が歩行者との関係でも、さらにきちんと出来るように技術開発を進めているところでございます。

また、車や道路だけに留まらず、社会インフラをどのように整理したら、人と車が共存する安全・安心・快適な街づくりが可能かという視点での取り組みも大切になって参ります。この面でも私どもは豊田市などと一緒になって取り組みを進めているところでございます。

ところで、ドラッカー博士は今起こっている変化を「すでに起こった未来」と言われました。

私も変化の潮流を的確につかみ、大胆な発想と行動で、20年後あるいは30年後の社会をにらんで大きなビジョンを描き、その実現にむけてイノベーションに挑戦していくことが大切であると考えております。コンピュータのデータ処理能カが指数関数的に向上し、逆にコストは指数関数的に低下して、30年後には我々の仕事を丸ごと引き受けたり、我々の知力を何倍にも高めたりする第二の機械革命がおこると予測する米国の識者もおられます。

私どもも、ITやICTを軸に自動車産業も大きな変化の過程にあるとの認識のもと、これまでのメカニカルエンジニア的な視点や発想を大きく転換して取り組みを進めていく必要があると思っております。

取り組みにあたっては、お客様にとって魅力ある車や求められる車社会とは何かを常に念頭におき、自動車という乗り物が、このままで今世紀にも生き残れるか、あるいは、21世紀の交通のあるべき姿をしっかり研究し、車産業はこのままで良いか、といった視点を絶えず保持していくことが大切だと思います。

最初に「車ありき」の視点ではなく、自然環境や社会と車が調和し、安全、快適な乗り物として共存する21世紀の新しい車社会のあり方を先取りして、常に提案し続けるという企業姿勢を忘れてはならないと思っております。私どもも、新しい車社会の実現に向けて世界をリードするつもりでグループ企業、仕入れ先さんとともに挑戦しているところでございます。

この意味で、私どもの創業以来の企業理念の柱であります、私の祖父、豊田佐吉の遺訓「研究と創造に心を致し、常に暗流に先んずべし」には、決して終わりはないと思っております。

(2)品質は工程で造り込む(自工程完結)

イソベーションへの取り組みとともに、私どもモノづくり産業が進化をはかっていく上では、モノづくりのべースとなる、品質とコストを両立させる取り組みが不可欠であり、これは永遠の課題であると申しても良いと思います。

皆様の中には、1900年代の半ば、「Made in Japan」は「安かろう、悪かろう」と言われた時代があったことをご記憶の方もおられるかもしれません。

戦後、円本のモノづくり産業は、米国ニューヨーク大学のデミング博土の教えと欧米の製品に謙虚に学び、必死の思いで地道に改善を積み重ね、品質を向上させて参りました。

1951年(昭和26年)に日本で創設されましたデミング賞は、日本の産業が国際競争力を高めていく過程で、組織を鍛え、人を育て、モノづくりの心を育てる「産業人の指針」となりました。デミング博士は日本のモノづくり産業の恩人と言えます。

トヨタは戦後早くからSQC(統計的品質管理)を導入しましたが、TQC(総合的品質管理)導入やデミング賞への挑戦は早いとは申せません。

戦後、私どもは「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」を2本柱とするトヨタ生産方式を軸に取り組みを進めておりました。

しかし1961年(昭和36年)に、グループの日本電装(現デンソ一)がデミング賞実施賞を受貸し、それを見た当時の豊田英二副社長の「だまされたと思ってやってみよう」の一言で、TQCの導入を決めました。

その導入の理由は、1960年(昭和35年)4月に発売しました1,000ccのエンジンを搭載した2代目「コロナ」の失敗でした。コロナは、最新の機構を備えておりましたが、設計や製造の技術が今一つでございました。

今後小型乗用車の市場が大きく拡大することが予想、される中で、私どもは、抜本的な対応が求められていたわけでございます。

1960年(昭和35年)6月に技術部担当役員となりました私は、設計品質と技術の向上に取り組みました。新たにコロナ担当主査になってもらった田島敦さんは、販売店の意見を直接聞いて回り、問題点を洗い出し、サスペンションをコンベンショナかなリーフ型に改めたのをはじめ、l,500ccのR型エンジンを搭載した車を1961年(昭和36年)3月に発表しました。

その後も、上級グレードの追加やエンジンの改良、さらに軽量化と耐久性の両立を目指し、世界で戦える乗用車を目指して挑戦いたしました。

TQCの導入のもうひとつの現出は、1955年(昭和30年)のクラウン発売以降のトヨタの発展とは裏腹に、従業員の教育不徹底、管理者の力不足、連携の悪さなど、全社で足並みをそろえて克服しなければならない多くの課題があったことでございます。

束正大の水野滋先生、東大の石川馨先生や朝香鐵一先生をはじめ、TQCの権威の方々に講演や指導を頂きながら、全社で取り組みを進めました。そして1965年(昭和40年)にデミング賞実施賞に挑戦し受賞することができました。このような全社挙げての取り組みによりまして、社内風土は大きく変わり、自分の工程に責任を持って良いものを造り、後の工程には不良品を送らない「品質は工程で造り込む」との考えが、社内の隅々にまで浸透いたしました。

コロナの田島主査の尽力と、すべての従業員が責任を持つという意識改革が進んで製品の質は向上し、1964年(昭和39年)に発売した3代目「コロナ」は大きく花開きました。

コロナは、国内だけではなく、米国など海外で人気を博し、トヨタの輸出を牽引していきました。同時に全社に原価意識もゆきわたり、管理手法や人間関係もいっそう良くなり、全社で1つの目標に向かって協力していく体制を実現できました。

こうした取り組みを定着させるために「オールトヨタで品質保証」を掲げて推進し、その結果、創意くふう提案やQCサークルも一段と活発になりました。その後、多くのグループ企業や仕入先さんなどが、デミング賞を受賞しております。

私どもはTQCとトヨタ生産方式を両輪として、お客様第一、絶え間のない改善に努め、品質向上とコスト競争力の強化に努めて参りました。申し上げるまでもなく、私どものモノづくり産業の使命は、お客様のためになり、お客様に喜ばれる、安くて良いものを提供していくことにあります。そして、それは、経営トップのリーダーシップのもと、設計、製造、販売・サービス、市場評価、そして、再設計といった全員参加による地道なプラン・ドゥー・チェック・アクション、つまりP・D・C・Aのデミングサイクルをしっかりとまわしていく取り組みがべースにあって、はじめて実現されるものだと思います。

しかし、これまで品質管理を担ってきた団塊の世代が定年で次々と職場を去り、世代交代が進んできております。こうした中では、SQCやQCの7つの道具、そしてQCサークル活動など、品質管理の基本の徹底と継続した取り組みによりまして、品質を第一とするモノづくりの仕組みを定着させていくことが、益々大切になってきていると思います。私どもは、「質の向上なくして成長なし」との考え方にたって、「品質は工程で造り込む」、佐々木元副社長が、これを「自工程完結」と名付けた取り組みを、現在、オールトヨタで展開しているところでございます。これは製造業に限らず、サービス業などの第3次産業でも同じだと思います。変化の激しい時代では、本当にお客様の立場にたった仕事をして、お客様の欲するものを提供していける企業だけが生き残っていけると思います。

しかし、決して私どもも偉そうなことはいえません。ご承知のとおり、数年前に大量のリコールを起こしてしまいました。この問題は従業員や部署の責任ではなく、私も含めて歴代経営トップの責任であります。お客様第一としながらも、商品の不具合やお客様の声、あるいは市場の急激な悪化など、現場の悪い情報が、いち早くトップに届くような風通しのよい仕組みやマネジメントになっていなかったことは、今後の再発防止にむけ大いに反省すべき点であると思っております。今マネジメントの原点に立ち返って取り組みを進めているところでございます。

(3)人づくり

このようなイノベーションやモノづくりを担うのは、申し上げるまでもなく人であります。モノをつくるには、まず人をつくることが大切、「モノづくりは、人づくり」。これは創業以来私どもが大切にしてきた考え方でございます。

いかなる優れた手法や技法、発想も、それを実践し、具現化していくのは人でございます。人の知恵と工夫、そして創造性を発揮し実行に移さなければ、生産性や製品の向上は図れません。こうした技術や技能は、職場での妥協を許さぬOJTを軸に、多くの経験を通じて、長い時間をかけて作られるものでございます。実際に、現場に立って、自分の目で見て、自分の頭で考え、そして、実際にものに触れ、自分自身の問題として取り組むことによって、はじめて、自前の技術・技能と呼べるものが、身につくと思います,このような地道で、愚直なまでの取り組みを継続して行く中で、自然と安全や品質、あるいは能率や原価といったことへの感性が磨かれ、感度も鋭くなってきます。それが企業の競争力に直結して参ります。

日本が、これまで世界の低コストの国々に負けずにモノづくりをやってこられたのは、こうした極めて高度な技術や技能、即ち「知的熟練」があるからだと思います。確かに、ITが高度化し、便利になって、技術者はオフィスで作業を完了することができる時代になりました。しかし、現場の声を聞き、自ら考える、現地現物の感性は絶対に鈍らせてはいけないと考えております。

現場感覚のないモノづくりは次の改善やモノづくりの進化に繋がって参りません。現地現物によって人は学び、育つ。これがこれまでモノづくりに携わって参りました私の信念でございます。このモノづくり、人づくりの考え方は、現在のトヨタの経営陣もしっかりと引き継いでくれております。

4.若い方へのメツセージ

ところで本日は、明日の中部や日本を担う学生さんもおられると伺いました。私から皆さんに期待をこめて、2つお話させて頂きたいと思います。

まずひとつ目は、皆さんには、是非、高い志と大きな夢を持ち、その実現に向けて努力していって頂きたいということでございます。

私の父、豊田喜一郎もGMやフォードに負けないような大衆乗用車を「日本人の頭と腕で実現する」という高い志と大きな夢を描いて生涯走り続けました。残念ながら、父は志半ばで倒れましたが、その夢や志は彼とともに夢を語り、その夢の実現に向けて共に努力してきた、多くの後輩たちに受け継がれ、今日のトヨタ自動車やトヨタグループに発展しました。

夢を描き、夢を語りながら、高い志の下に失敗を恐れず、挑戦するものには実現のチヤンスは訪れます。しかし、最初から夢や志を持たなければ実現のチヤンスは訪れません。

最近、若い方々がジャパニーズドリームを追わなくなっているのではないかと少し心配しております。先進国はどの国も同じかと見渡せば、映してそんなことはありません。米国では、まだまだ苦労してでも夢を実現しようという気概を持つ若者が沢山おります。それが国の活力になっております。

たとえば、マイクロソフト創業者、ビル・ゲイツ氏の自宅で雑用や草刈りをしながら「自分もビルのようになるんだ」と夢を追いかける若者がおります。しかし、日本ではなかなかそういった話は聞かなくなってしまったことが残念でなりません。

皆さんには、内向きにならず、世界に目を開き、もっと欲を出して、大きな夢に挑戦し、それぞれの道を切り拓いていって頂きたいと思います。

2つ目はこれから進もうとされている分野で、信念と情熱をもって、地道に汗をかりて、粘り強く取り組んで頂きたいということでございます。

私は東北大の大学院で学んでいたとき、恩師の棚沢泰先生から、「社会を発展させるには、一歩一歩、技術を積み重ねていくことが大切なのだ。理科の教科書のただ一行だけでも、一生のうちに付け加えられたらいいのではないか。そうした真摯な努力を重ねていくのが人間というものだ」ど言われました。

これを信条とし、新しい技術で良品廉価の製品をつくり、お客様に喜んで頂き、社会の役に立つ、という創業の精神を胸に自動車産業の数行でも書こうと愚直にモノづくり、人づくりに取り組んで参りました。

こうした取り組みは、決して私だけではありません。トヨタの歴史を振り返ってみますと、モノづくりに誇りと情熱を持ち、責任感とこだわりのもとに、幾多の失敗にもめげず、知恵を絞って、愚直に地道に汗をかいて最後まであきらめずに挑戦してきた多くの先輩・同僚、部下の方々が見えます。その努力の歴史の上に今日のトヨタやトヨタグループは築かれたものだと思っております。

惜しくも昨年亡くなりましたが、私の友人で井口洋夫さんという科学者がおります。世界で初めて有機分子の電気伝導性を発見し、その後、独創的な仮説と綿密な実験,実証によって有機素子、有機超伝導体の学問分野を拓き、今日の有機分子エロクトロニクス技術の発展に貢献しました,毎年ノーベル賞候補にも挙がっていました。

また、岡崎市の岡崎国立共同研究機構の分子科学研究所所長や機構長、そして私が理事長を務めます公益法人豊田理化学研究所の所長も務めてもらいました。その井口さんから、「秀才は先が見えすぎて、やらないから成果が出ない。君はがむしゃらに進めそうだから、今の仕事をやってみなさい」と大学時代に、ある先輩から言われた言葉を生涯大切にしてきたと聞きました。

人から、謙虚に学ぶ一方、常識や定説を根本的に疑い、新たな原理の発見と先駆的な研究に努める。これを愚直なまでにひたむきに実践してきた科学者としての彼の姿勢に、私は、いつも感心させられたものでございます。

これから、エンジニア、あるいは科学者や教育者として、それぞれの道を進まれる皆さんに、少しでも参考になればと思いご紹介させて頂きました。

是非がんばってください!

5.おわりに

色々申し上げましたが、いま日本は、将来も先進国として発展していけるか、大きな岐路にたっております。しかし、取り組み次第では、科学技術創造立国、農業立国、観光立国など様々な実現の可能性を充分持った国でもあります。そのような活力ある日本を創り、次世代につないでいくことが、我々の責務であると思います。その意味で皆様をはじめ、あらゆる分野でリーダーの高い志とこころ、そして、勇気、情熱、行動力が求められていると思います。皆さんには大いに期待していますし、私も微力を尽くして参る所存でございます。

最後に、トヨタ自動車並びにトヨタグループ各社に対しまして、温かいご指導・ご鞭撻を賜りますことをお願い申し上げ、併せまして、SAM日本チヤプタ一の益々のご発展をお祈りいたしまして、私の話を終わらせて頂きます。

ご清聴ありがとうございました。

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