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京の都のお雛様はちょっと変?

作者:SAM日本チャプター会員 伊藤芳康

京都にて、お雛様飾り方でビックリした事があります。時はひな祭り。祇園白川にありますお茶屋バーにとても立派なお雛様が飾られていたのですが、驚愕したのはお内裏様とお姫様の設置方が東京とは真逆なのでした。東京をはじめ日本中で一般的なお雛様の飾り方は、向かって左側にお内裏様、右側にお姫様です。しかし、京都では全く逆で、京都のお雛様は向かって左にお姫様が飾られ、内裏様は向かって右に飾られます。なぜ京都だけ通常の逆なのでしょうか?不思議です。どちらが正式なのか、もしかしたら京都方式が昔からの飾り方なのではないかと思いWikipedia等で色々調べてみました。そして判明した面白い歴史的事実をこれから述べます。

明治時代以前の日本では「左」が上の位であったのです。中国から導入された風水により天皇は常に南に向いて座ります。すると天皇の左側が東にあたり、その東から太陽が昇ります。右側は西となり、太陽が沈みます。よって、天皇から見て太陽が昇ってくる左側が尊いと考えられたのです。従って、明治天皇の時代までは左が高位という伝統があったため、天皇は必ず左に立ちました。これは我々からみると右側に天皇がいらっしゃるという事です。そして、宮中では左大臣が一番の上位で、天皇から見ての左側、つまり我々から見て右側に座していたのです。右大臣は天皇から見て名前の通り右側です。ちなみに、左大臣はお雛様では向かって右側に飾られている髭のある貫録十分の年配の方です。右大臣はお雛様では向かって左側に飾られている若いハンサム青年の方になります。

そして「左近の桜、右近の橘」と言われるがごとく、桜は天皇から見て左側に植えられ、橘は右側に植えられました。これは京都御所の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びでもあります。この伝統がお雛様にも踏襲され、伝統に沿い、男雛は左側、つまり我々から見て右側に位置し、女雛は右側、つまり我々から見て左側に飾られていたのです。ちなみに内裏雛の男雛と女雛はそれぞれ天皇と皇后を表わすと一部でされますが、正しくは親王と親王妃であるとのことです。

しかし明治の文明開化によって日本もあらゆるものが西洋化しました。明治政府は、従来からの日本の伝統は「古い」もの、「後進的」なもの、として蔑みました。そうした風潮に従い、皇室自体も色々な儀式や生活様式から衣類の至るまで、イギリス王室の慣習やシステムを取り入れ、踏襲したのです。そして、明治以降の最初の即位式を挙げた大正天皇は過去の伝統を捨て去り、イギリス王室に倣い、皇后の右側、つまり向かって左側に立ったのです。このイギリス方式が大正天皇以降から皇室の伝統になり、昭和天皇は何時も右側、つまり向って左側に立ち、香淳皇后が向かって右側に並びました。平成天皇も今上天皇も同様です。

それにならい、社団法人日本人形協会は大正天皇の即位以来、男雛を右、つまり向かって左に配置することを奨励するようになりました。そのため、昭和に入り殆ど日本中が男雛を向かって左に配置するようになりました。しかし理由はとうとうわからなかったのですが、左大臣や右大臣の位置はそのままなのです。桜や橘の位置も同様です。

ところが常日頃、全てにおいて東京、つまり中央に反発し、頑迷に伝統ある「古式」にこだわり続けていたのが京都人だったのです。京都の人たちは『千年以上続く日本古来の伝統を捨て去り、毛唐の猿真似をするなどけしからん』と主張し、頑なに古来の方式にこだわり続けました。その結果、全ての京都の家では未だにお内裏様を向かって右側、お姫様を向かって左側に飾り続けているのです。

今では社団法人日本人形協会も認めており、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」としています。

最後に、お雛様の並び方の本質をご理解いただいた今、あなたは「現代式」に固執しますか? それとも「古式」に戻しますか?

以上

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