作者:SAM日本チャプター会員 伊藤芳康
膝をそろえて座る座り方である「正座」という名称は「正しく座る」からだといわれています。そして、目上の人に敬意を表するための座り方だと理解されています。しかし、長く「正座」をしていると足が痺れてしまいます。歴史を紐解くと、「正座」を推奨したのは実に江戸時代初期、三代将軍徳川家光であるというのが通説です。それ以降、「正座」は武士の正式な座り方だという事で定着していきました。
それではなぜ徳川家光は「正座」を推奨したのでしょうか? 伝承されている説をいくつか紹介します。
先ず、「正座」を推奨した理由はその姿勢の美しさにあるという説です。よって「正座」は武家のみならず、武家の女性にも要求されました。女性にまで要求したのは背筋がピシッと伸びた姿かたちの良さ、美しさからきているのでしょう。女性があぐらをかいたり片膝を立てたりする座り方ははしたなく見えてしまうからだと思います。
次に、武士としての心得が背景にあります。いざという時、つまり不意の切り込み等の急襲を受けた時、即、立ち上がり太刀をかわすなり、対抗するなりができるようにするための作法からきているのだそうです。あぐらでは、即、かわしたり対抗したりする事が不可能だからです。どうしても対応が1テンポ遅れてしまうとのことです。つまり、武士がいつでも即時に戦闘態勢に移れる座り方を「正座」としたのです。
幕末、坂本龍馬が三条に近い河原町蛸薬師で醤油商を営む近江屋新助宅母屋の二階で軍鶏鍋をつつきながら酒を飲んでいた所、つまりあぐらをかいて飲み食いしていたら突然、刺客に踏み込まれ、正面から一刀両断に切りつけられたのを避け切れず、脳天を割られ、絶命したのがその典型です。あぐらをかいていたため、とっさの戦闘態勢をとれず、一方的に殺害されてしまったという次第です。でも、これらは表向きの理由だと思います。
本当の本音部分に大きな理由がありました。徳川家光は徳川幕府安泰の為に、参勤交代や天下普請など地方有力大名に謀反を起こさせないための政策を色々と実施していました。その背景には家臣に裏切られることを恐れていたからだと伝えられています。もし目の前にいる家臣が急に襲ってきた場合を想定して、「正座」を強要することによって足を痺れさせ、急に立ち上がって襲って来られないようにしたという事です。
ご周知の通り、江戸時代を通じてすら貴族は正座せず、皆、あぐらです。テレビの時代劇でよく出てくる天皇にしても上皇や貴族たちにしても、皆、あぐらです。具体的な例としまして、桃の節句ひな祭りのお雛様を見ると、内裏さまはあぐらです。お姫さまは十二単に隠れているのでわかりません。はたしてあぐらなのか正座なのか。通常のお雛様のお姫様は十二単をめくれないので足がどうなっているのかわかりません。
仏像の如来や菩薩も高名なお坊さんの像も、皆、座っている場合は基本的にあぐらの姿勢です。座禅の基本姿勢もあぐらです。つまり、「正座」とは武家社会に限った正式な座り方だったということです。身分制度「士農工商」の「士」以下とそれを超越している貴族階級以上にとって「正座」は正しい座り方ではないということなのです。
但し、例外の仏像がありますので紹介します。それは京都大原三千院の往生極楽院内に安置されている阿弥陀如来三尊像で、藤原時代作の国宝彫刻です。往生極楽院の堂内は極楽浄土を表現していて、堂内いっぱいに金色に輝く阿弥陀三尊が下記の通り安置されています。中央の阿弥陀如来は定朝様式の仏像で来迎印を結んでいます。有名な仏師定朝によって製作された宇治平等院の阿弥陀如来像が平安後期の貴族たちに好まれ、定朝様式として定着した頃に製作されたようです。
その左(=向かって右)の観音菩薩は死者の霊を載せる蓮台を持ち正座しています。右(=向かって左)の勢至菩薩は合掌し正座しています。この両菩薩の正座した姿は、西方の極楽浄土へ旅立つ往生者、つまり死者を迎えにきたという典型的な来迎像の姿なのです。つまり、直ぐに立ち上がれるという姿勢なのです。
現在でも死が迫った時に「お迎えが来る」と言いますが、阿弥陀如来が迎えにきて極楽浄土へお連れするという阿弥陀信仰の表現なのです。穏やかな表情を浮かべた三千院の阿弥陀三尊像の円満な容姿が大原の地に隠棲した平安貴族を慰めたことでしょう。
もともと膝をそろえて座る座り方は「危座(きざ)」といわれ、罪人を長時間座らせて苦痛を与え、罪を白状させるために座り方でした。家光は幼いころに教育係の乳母春日局から躾けの一環として「危座」をさせられ、足が痺れた経験から家臣に命じるきっかけになったと言われています。
そして明治になり、「危座」という呼び名の印象はあまりよくないので、目上の人に敬意を表するための「正しい座り方」という事で「正座」と名称を改め、階級制度をなくして平等化した国民全体に「正座」を普及しようとして、その手段として学校教育に取り入れました。その結果、一般に広まっていったのです。
三千院往生極楽院弥陀如来三尊像:向かって左から勢至菩薩 阿弥陀如来 観音菩薩
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